「たけし軍団」のメンバーとして長年活躍したグレート義太夫さんが、2026年9月7日に67歳で亡くなりました。
突然の訃報を受け、「死因は何だったの?」「長年患っていた糖尿病と関係がある?」「人工透析を受けていたの?」と気になった人も多いのではないでしょうか。
2026年9月8日現在、所属事務所から死因は公表されていません。
一方で、義太夫さんは1995年に糖尿病と診断され、2007年から人工透析を開始。2024年には心筋梗塞で10時間におよぶ大手術を受けるなど、長い闘病生活を公表してきました。
この記事では、現在判明している亡くなった際の状況と、義太夫さん本人がこれまで明かしてきた病歴や闘病の経緯を時系列で見ていきます。
グレート義太夫の死因は?現在は公表されていない

グレート義太夫さんは2026年9月7日午後、東京・中野区の自宅マンションの階段で倒れているところを発見されました。
病院へ搬送されましたが、その後死亡が確認されています。67歳でした。報道によると、目立った外傷はなかったということです。
翌8日、所属事務所の株式会社TAPが正式に訃報を発表しました。
しかし、発表されたのは亡くなった日と年齢、葬儀を近親者のみで執り行う予定であることなどで、死因についての記載はありません。
義太夫さんには糖尿病、末期腎不全、心筋梗塞などの病歴がありますが、これらの病気が今回の死因だったとする公式発表も出ていません。
北野武も「また会おうな」と追悼
訃報を受け、師匠の北野武さんは9月8日、「また会おうな」と義太夫さんを悼むコメントを発表しました。
ともに「たけし軍団」で活動した東国原英夫さんも、TAP社長のつまみ枝豆さんに確認したことをXで明かし、「ショックである」と投稿しています。
グレート義太夫の若い頃からの経歴|ひょうきん族・音楽・舞台でも活躍
グレート義太夫さんは、たけし軍団のお笑い芸人として知られていますが、もともとはプロのミュージシャンを目指していました。
大学時代はドラマー|ビートたけしのバックバンドへ
大学時代から音楽系サークルでドラムを始め、バンド「雷神」でも活動していました。
ビートたけしさんのラジオ『ビートたけしのオールナイトニッポン』を聴いていたことから弟子入りを志願。
1983年にビートたけしさんのもとへ入り、ドラムの経験を生かして、たけしさんのバックバンド「シークレット・ポリス」にパーカッションとして参加しました。
芸人になる前から、音楽がグレート義太夫さんの原点だったのです。
1985年ごろにたけし軍団入り|『オレたちひょうきん族』で活躍
その後、1985年ごろにたけし軍団へ正式加入します。
太めの体型に長髪という当時の風貌が、プロレスラーのザ・グレート・カブキさんを思わせたことから、ビートたけしさんが「グレート義太夫」と命名しました。
1980年代には『オレたちひょうきん族』『スーパーJOCKEY』『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』など、人気バラエティ番組に次々と出演。
たけし軍団の個性派メンバーとして知られるようになりました。
作曲家・俳優としても活動|蜷川幸雄作品で海外公演も
音楽の才能を生かし、芸人として活動する一方で作曲家としても活躍しました。
細川ふみえさんの「ポチにやつあたり」、中條かな子さんの「ことばさがして」、日髙のり子さんの「十年後の私」などの楽曲を手がけています。
1992年には、ビートたけしさんと宮沢りえさんが出演したエースコック「スーパーカップ」のCMソングも担当しました。
2001年からは蜷川幸雄さん演出の舞台にも出演。『タイタス・アンドロニカス』の再演ではイギリス公演にも参加し、ロイヤル・シェイクスピア・シアターの舞台に立っています。
糖尿病や人工透析と闘うようになってからも、舞台、音楽、落語、ギター漫談、ラジオ、講演など活動を続けました。
グレート義太夫は1995年に糖尿病|血糖値は630
義太夫さんが糖尿病と診断されたのは1995年です。
当時はテレビの字幕がぼやける、異常に喉が渇く、トイレが近くなるといった変化がありましたが、本人は夏バテだと思っていたと振り返っています。
その後の血液検査で判明した空腹時血糖値は、なんと630mg/dL。
医師からも、普通に会話できていることを驚かれるほどの数値だったと、義太夫さん自身が後年のインタビューで語っています。その後、約2週間の教育入院を経験しました。
グレート義太夫さんの主な病歴や闘病の経緯を、時系列で見ていきます。
糖尿病歴時系列
- 1995年(37歳頃):糖尿病を発症
- 当時、血糖値が630を記録するなどして糖尿病と診断され、2週間ほどの教育入院を経験。自覚症状(トイレが異常に近いなど)があったものの「サイレントキラー」と呼ばれる糖尿病の怖さを実感する契機となりました。
- 2007年(48歳頃):人工透析の開始
- 糖尿病の合併症である糖尿病性腎症による末期腎不全が進行し、この年から週に及ぶ人工透析治療(週15時間など)をスタート。以降、長年にわたり透析生活を続けながら芸能活動を継続していました。
- 2024年(65歳頃):心筋梗塞を発症・緊急手術
- 8月下旬に心筋梗塞で倒れ、10時間におよぶ開胸の緊急手術を受けました。一時的に「7秒間心臓が停止する」など生死をさまよう重篤な状態でしたが、一命を取り止め、リハビリを経て仕事やブログ更新に復帰していました。
- 2026年9月7日:急逝
- 亡くなった当日の朝まで通常通りブログを更新していましたが、その日の午後、自宅マンションの階段で倒れているところを発見されました。
体重120kg・深夜の食生活も明かしていた
若い頃の義太夫さんは体重が120kg近くまで増え、仕事が深夜まで続いた後に焼肉へ行くような生活を送っていた時期もありました。
糖尿病になった後も食事の誘惑との戦いは続き、本人は後年のインタビューで、立食パーティーの料理を前に「足が取れてもいいから食いてえ」と思ったことまで率直に明かしています。
ただ、義太夫さんの父親も糖尿病だったことを本人が語っています。食生活だけを糖尿病の原因と決めつけることはできません。
2007年から人工透析|糖尿病性腎症で末期腎不全に
糖尿病との闘いは、その後さらに深刻になりました。
2007年、糖尿病の合併症である糖尿病性腎症が進行し、末期腎不全と診断されます。
この年から人工透析を開始し、その後約19年にわたって透析治療を続けました。
当初は短時間だった透析も、最終的には1回約5時間を週3回、週に約15時間を費やす生活になったことを本人が明かしています。
それでも芸能活動を続け、糖尿病についての講演にも参加。2009年には自身の闘病をつづった著書『糖尿だよ、おっ母さん!』も出版しています。
グレート義太夫は足を切断していた?「切断」と検索される理由
Yahoo!の検索候補には「グレート義太夫 切断」という言葉も出ています。
しかし、グレート義太夫さん本人が足や腕を切断したという事実は確認できません。
義太夫さんが「切断」に近い表現を使ったことはあります。
糖尿病になった後、料理を目の前にして「足が取れてもいいから食いてえ」と思ったというエピソードを本人が語っていました。
また、2024年に掲載された糖尿病の対談記事では、糖尿病性腎症で透析を受ける義太夫さんと、糖尿病の合併症で腕を切断した元プロ野球選手・佐野慈紀さんが同じ記事内で紹介されています。
少なくとも、現在確認できる「切断」に関する情報は、義太夫さん自身が手足を切断したという内容ではありません。
2024年に心筋梗塞|10時間の大手術と7秒の心停止
御報告。ワタクシグレート義太夫は、先月の23日に「心筋梗塞」で倒れました。10時間にも及ぶ手術のおかげで、何とか生きながらえております。とにかくご報告まで。
— グレート義太夫(夏目亭透析) (@Gidayu) September 1, 2024
2024年8月23日、義太夫さんは人工透析のためクリニックを訪れた際、異常に低い血圧が確認されました。
検査の結果、心筋梗塞が見つかり、そのまま救急搬送。太ももの血管を使ったバイパス手術が行われ、手術時間は10時間に及びました。
さらに本人は後のインタビューで、心筋梗塞の際に心臓が約7秒間停止したことも明かしています。
その後はペースメーカーの治療も続き、2024年11月には再び手術を受けています。
命の危機を乗り越えた後も、義太夫さんはリハビリを続け、舞台やブログ、ラジオなどの活動へ復帰していました。
2026年7月にも「鎖骨下静脈拡張」の手術
亡くなる約1か月半前の2026年7月21日にも、義太夫さんは入院していました。
本人のブログによると、「鎖骨下静脈拡張」の手術を受けるための入院で、これまでにも何度か経験していた手術だったとしています。
翌日には退院できる予定だと明るく報告していました。
ただ、その後の8月には体調不良を訴える投稿が増えていました。
足腰の痛みや歩けないほどの左股関節の痛み、左肩の激しい痛みについて書き、8月19日には「身体がどんどんボロボロになって行く」とつづっています。
グレート義太夫の訃報にSNSの反応は?
グレート義太夫さんの訃報を受け、SNSでは突然の別れを惜しむ声が相次いでいます。
たけし軍団時代からの交流を振り返り、「一番仲が良かった」「もう一度会いたかった」と別れを惜しむ声もありました。
グレート義太夫さんがお亡くなりになられました。たけし軍団の中で一番仲が良かったです。いつも気にかけてくださってました。もう一度会いたかったです。ご冥福をお祈りいたします。
— 越前屋俵太 (@echizenya_hyota) September 8, 2026
また、長年の糖尿病や人工透析、2024年の心筋梗塞など、厳しい闘病を続けながら活動してきたことに触れ、67歳という早すぎる死を惜しむ声も見られます。
グレート義太夫さん、亡くなられたのか。まだ67歳だけど糖尿病で腎不全になったり、心筋梗塞で倒れたりしたからな。血糖値が常人の10倍って、私が一番重症だった頃でも常人の4倍くらいだったから想像つかないな。
— すめあごる@大洗 (@smeagol_fpen) September 8, 2026
御冥福をお祈りします。
さらに、芸人としての姿だけでなく、「音楽の才能があった」と義太夫さんの音楽家としての一面を振り返る投稿もありました。
グレート義太夫さん、音楽の才能があった。
— 野々村文宏 (@nonomurax) September 8, 2026
糖尿病と、進行性の糖尿病性腎不全を抱え、最近は週3回の人工透析だったという。
心筋梗塞もやった。
30代から40代のときに養生すればもっと長生きできたのに。残念です。ご冥福をお祈りします。
芸人、音楽、舞台、落語と幅広く活動し、長い闘病生活の中でも仕事を続けてきたグレート義太夫さん。
SNSでは、その人柄や才能を惜しむ声が広がっています。
まとめ|グレート義太夫の死因は公表されていない
グレート義太夫さんは2026年9月7日、67歳で亡くなりました。
亡くなった当日の朝までブログを更新していましたが、その日の午後、自宅マンションの階段で倒れているところを発見され、搬送先の病院で死亡が確認されています。
2026年9月8日現在、所属事務所から死因は公表されていません。
義太夫さんは1995年に糖尿病と診断され、2007年から人工透析を開始。2024年には心筋梗塞で10時間におよぶ大手術を受け、手術後には心臓が約7秒止まるほどの危険な状態も経験していました。
さらに2026年7月にも「鎖骨下静脈拡張」の手術を受け、8月には足腰や肩の強い痛みなど、体調不良をブログで明かしていました。
一方で、若い頃はミュージシャンを目指し、その後たけし軍団の一員として『オレたちひょうきん族』などで活躍。作曲、俳優、舞台、落語、講演と活動の幅を広げ、長い闘病生活の中でも芸能活動を続けていました。
師匠の北野武さんは訃報を受け、「みんな歳とったな。いずれみんなも追いかけるから。また会おうな」と言葉を寄せています。

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