今回は2026年1月スタートのドラマ『再会』を一視聴者として見ていて、物語としてとても引き込まれる一方、強く引っかかったのが「なぜ拳銃を埋めるという選択に至ったのか」という点でした。
犯人や結末、原作の答えを先に知ってしまえば簡単ですが、ここではあえて結果には触れず、その場の状況や心理、置かれていた立場だけを手がかりに考察していきます。
本当に他に選択肢はなかったのか。なぜ“隠す”ではなく“埋める”必要があったのか。
物語の流れを追いながら、その行動の意味を整理してみたいと思います。
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なぜ「銃を隠す」のではなく「埋めた」のか

画像提供:『再会〜Silent Truth〜』火曜よる9時【公式】
※ここでは、結果や真相ではなく、その瞬間の淳一の視点と心理に立って考察しています。
淳一(竹内涼真)が引き金を引いたこと自体は事実です。ただ、その一発が相手に致命的な影響を与えたかどうかは、この時点では確認されていません。それでも彼自身は、「撃った」という事実だけを抱え込み、「自分が殺した」という認識を更新できないまま時間を過ごしてきたように見えます。
そうした状態で判断を先送りしてきたこと自体が、この選択に影響していたように見えました。
もし単に罪を隠したいだけであれば、拳銃を処分する、あるいは見つからない場所に移すという選択もあったはずです。
それでも“埋める”という行為が選ばれたのは、この出来事を物理的に消すだけでなく、記憶に触れずに済むようにするための選択だったからではないでしょうか。
この行動は、逃げるための処理というよりも、過去と向き合わずに生き延びるための自己防衛だったように思えます。
だからこそ「隠す」ではなく、「埋める」という不可逆な選択が取られたのではないか――そう考えると、この場面の重さがよりはっきりと浮かび上がってきます。
あの場面で置かれていた状況を整理する

画像提供:『再会〜Silent Truth〜』火曜よる9時【公式】
この場面で描かれているのは、犯行の動機や真相ではなく、当時の子どもたちが置かれていた状況です。
まず前提として整理しておきたいのは、彼らがまだ小学生だったという点です。
- 大人の判断力や知識を持っていない
- 事件や「犯罪」という概念を、言葉としては理解していても、現実感としては捉えきれていない
- その場で起きた出来事を、冷静に検証できる環境ではなかった
この時点で彼らが直面していたのは、「誰が悪いのか」を判断することではなく、目の前で起きた異常事態にどう対処すればいいのか分からない、という混乱だったように見えます。
また、銃声が鳴った直後の状況も重要です。
誰が撃ったのか、相手に当たったのか、致命的だったのか――
それらを一つずつ確認できる余裕はなく、断片的な事実だけが残された状態でした。
つまりこの場面は、「犯行が成立した瞬間」ではなく、後に重い選択へとつながっていく“前提条件”がそろってしまった場面として描かれているのではないでしょうか。
銃を埋める判断に影響した心理とは
※ここでは、当時の事実関係を断定するのではなく、淳一がどのような心理状態で出来事を受け止めていたのかに焦点を当てています。
淳一が引き金を引いたこと自体は事実です。
ただし、その一発が相手に致命的な影響を与えたかどうかは、この時点では確認されていません。
それでも淳一は、「撃った」という事実だけを強く抱え込み、「自分が人を殺した」という認識を更新できないまま時間を過ごしてきたように見えます。
この認識は、冷静な検証の結果というよりも、恐怖と混乱の中で固定されてしまったものだったのではないでしょうか。
一方で重要なのは、拳銃をその場から持ち帰る判断をしたのは圭介だったという点です。
「埋めよう」と明確に決めたのは後の話であり、最初に拳銃を回収し、現場から遠ざける行動を取ったのは圭介でした。
もし圭介が、淳一が発砲した瞬間を目撃していたとしたら…。
その時点で彼は、「この拳銃が残れば、淳一が“父親の仇を討った人間”ではなく、“罪を背負わされる側”になる」と直感的に感じた可能性も否定できません。
なぜ誰も、あの出来事を掘り返さなかったのか

画像提供:『再会〜Silent Truth〜』火曜よる9時【公式】
4人が、あの出来事を掘り返さなかった理由(共通の心理)
あの出来事は、誰か一人の判断で封じられたわけではありません。
子どもたちは恐怖の中で口を閉ざし、大人たちは深く踏み込まなかった。その結果、出来事は「終わったこと」として扱われ、掘り返される機会を失っていきました。
真実を確かめることは、誰かを傷つける可能性がある。そう感じた瞬間、沈黙は最も安全な選択になります。触れなければ壊れない関係があり、問い直さなければ保たれる日常があった。
だからこそ、誰も積極的に過去を掘り返そうとしなかったのではないでしょうか。
見なかったことにする沈黙は、罪の有無とは別に、人を守る役割も果たします。その構造が続いた結果、あの出来事は時間の奥へと押し込められていきました。
それでもなお、何が起きていたのかについては、確かめきれない部分が残っています。その可能性は、否定できません。
淳一(竹内涼真)は、なぜ振り返らなかったのか
淳一にとって、あの夜の出来事は「後から検証できる過去」ではありませんでした。
引き金を引いたという事実だけで、すでに十分すぎるほどの重さを持っていたからです。
弾が当たったのか、相手がどうなったのか。
本来であれば確認すべき点は多くあったはずですが、淳一はそこに意識を向けることができなかった。
それは、考えなかったのではなく、考え直すこと自体が恐怖だったからではないでしょうか。
もし「あの時は違ったかもしれない」と立ち止まってしまえば、
自分がこれまで選んできた道や、警察官としての人生そのものが揺らいでしまう。
そう感じた瞬間、過去を掘り返すという選択肢は、現実的ではなくなっていきます。
淳一にとって沈黙は、罪を隠すためのものではありませんでした。
あの出来事を振り返らずにいることは、自分の人生を前に進めるための最低限の防衛だったのではないでしょうか。
原作・結末を知っている人向けの補足(折りたたみ推奨)
本作は、横関大さんによって2010年に発に講談社から単行本として刊行され、2012年に講談社文庫として文庫化された作品です。
2012年12月にはフジテレビでも「土曜プレミアム」枠にて「大型ミステリー特別企画」と銘打って、江口洋介さん主演で放映されました。ドラマ版では4人が再会する時期が27年ぶりに変更されています。
ネタバレを追えば、事実関係はすべて整理できます。
けれど、もし自分が淳一の立場だったら。
「本当は当たっていなかった」
「誰かが事実を改ざんしていた」
——そうした可能性に思い至ること自体が、当時の淳一にはできなかったのではないでしょうか。
だからこそ、23年間抱え続けた恐怖や罪悪感は、簡単に消えるものではなかったように思えます。
この物語は、“何が起きたか”を知る話ではなく、**「それを抱えて生きるとはどういうことか」**を静かに突きつけてくる物語なのだと思います。
もし一度結末を知った上で、もう一度この作品を見返すと、当時とは違う景色が見えてくるかもしれません。
なお、原作とドラマ版では、描かれ方や展開が一部異なる可能性があります。
原作を知っている方も、ドラマ版ならではのストーリーの運びに注目したいところです。
まとめ
結末や事実関係を知れば、この物語の構造は理解できます。
それでも割り切れないのは、登場人物たちが背負ってきた時間そのものです。
もし自分が淳一の立場だったら。
23年間「自分が殺した」と思い込みながら生きてきた恐怖や罪悪感を、事実が違ったからといって簡単に手放せるとは思えません。
この作品が描いているのは、真相そのものよりも、それを抱えたまま生きる選択の重さなのではないでしょうか。
結末を知った上で見返すと、登場人物たちの沈黙が、少し違って見えてくるかもしれません。

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