1990年11月13日。
新潟県で、一人の少女が突然姿を消しました。
それから9年後——
彼女は同じ県内の一軒家の2階で発見されます。
外に出ることができた環境でありながら、なぜ彼女は逃げることができなかったのか。
9年間もの間、少女はなぜ逃げられなかったのか。
心理的支配はどのように行われていたのか、事実をもとに整理します。


事件の概要

この事件は、新潟県柏崎市で発覚した長期監禁事件です。
発覚のきっかけは、加害者の母親による相談でした。
家庭内暴力に悩み、保健所や医療機関に助けを求めたことから、関係者が自宅を訪れます。
2000年1月28日、保健所や医療関係者が訪れた住宅の2階から、一人の女性が発見され事件が明るみに出ました。
行方不明となっていた少女は、 1990年11月13日から2000年1月28日まで(約9年2ヶ月、日数にして3,364日間)同じ家の中で生活を強いられていたことになります。
連れ去りの状況
1990年11月13日。
当時小学4年生、9歳の少女は、新潟県三条市内の路上で下校途中に襲われました。
報道によると、加害者は刃物を突きつけ、
少女を乗用車のトランクに押し込んだとされています。
三条市から柏崎市までは、およそ距離にして50km前後。
車で1時間以上かかる距離です。
日常の帰り道から、
誰にも知られず別の町へ——
この時点で、少女の生活は完全に断ち切られていました。
監禁生活の実態
報道などによると、少女が監禁されていた部屋四畳半の部屋には、加害者の趣味であるビデオデッキ、テレビ、大量のビデオテープや雑誌が溢れており、被害者の移動範囲は極めて限定的であったとされています。
・扉には鍵はかかっていなかった
・窓はガムテープや板で塞がれ、外の光や景色はほとんど遮断されていた
・少女には大声を出さないよう命じていた
・部屋の中にはテレビやビデオがあり、視聴は許されていた一方、限られた情報だけを与えられる環境だった
・食事は加害者が運び、生活は完全に依存状態であった
・被害者が身につけていた衣類や所持品は加害者によって処分され、加害者の母親に買いに行かせた下着や衣類が与えられていた
・加害者が外出する際や不機嫌な時には、粘着テープや結束バンド、刃物を用いて抵抗を抑圧していた
・被害者はスタンガンを押し当てられていたと法廷で証言している
・トイレは、部屋の中に置かれたポータブルトイレ(またはバケツ)を使用し、加害者がその中身を処理していた
・長期間入浴が制限され、加害者が1階から運んでくる洗面器1杯の湯とタオルで体を拭くのみで、衛生環境は極めて厳しいものだった
以上のことが報じられています。
発見当時、少女は自力で歩くことが困難な状態で、長期間の運動不足による筋力低下が指摘されています。
※出典:『週刊文春』2000年2月10日号・2月17日号、『女性自身』2000年2月15日号、『週刊新潮』2000年2月10日号、朝日新聞2000年1月30日
なぜ逃げられなかったのか?
この事件で最も不可解なのは、鍵がかかっていなかったにもかかわらず、なぜ9年もの間、逃げることができなかったのかという点です。
報道によると、加害者は刃物を見せつけながら、「外には仲間がいる」「逃げたらお前の家族を皆殺しにする」と繰り返し吹き込み、被害者に「外の世界は危険だ」と信じ込ませる心理的コントロール(マインドコントロール)を行っていたと報じられています。
少女は常に恐怖の中で生活していたとみられます。
また、加害者は被害者に対し、足音を立てることや声を出すことを厳禁していた。そのため、被害者は常に忍び足で歩き、1階にいる母親に存在を気づかれないよう細心の注意を払わされていたようです。
外部との接触が断たれた状態が長期間続いたことで、外に出るという選択そのものが現実的に感じられなくなっていた可能性もあります。
制限された狭い環境の中で、
実意思そのものが奪われていた——
事件発覚時、筋力の著しい低下により自力歩行が困難な状態でした。
また、長期の監禁により、加害者の指示に従わざるを得ない心理状態に置かれていたと見られます。
この構造が、この事件の異常性です。
※出典:『週刊現代』2000年2月19日号、判決文における認定事実
加害者
ここでは、加害者の生い立ちを整理していきます。
加害者の生い立ちと引きこもりの経緯
小中学校時代: 小学校時代は目立たない存在でしたが、中学校に入った頃から不登校気味になりました。中学2年生での父親の死が、精神的な不安定さに拍車をかけたと報じられています。
高校中退: 県内の高校に進学したものの、数ヶ月で中退。以後、定職に就くことなく自宅に引きこもるようになりました。
家庭内暴力: 加害者は10代後半から母親に対して激しい家庭内暴力を振るうようになりました。母親は加害者を恐れ、彼の要求(食事の用意や、特定のビデオ・雑誌の購入など)を拒絶できない関係性にありました。
前科と警察の把握状況
別のわいせつ事件: 本事件の約1年半前(1989年)、加害者は別の少女に対する強制わいせつ未遂事件を起こし、懲役1年・執行猶予3年の判決を受けていました。
監禁開始時期: 本事件(9年監禁)が発生したのは、上記事件の執行猶予期間中のことでした。
加害者は母親と2人で生活で部屋にはビデオや雑誌が多く、自室にこもる生活を続けていたとされています。
日常的に外出することは少なかったと報じられています。
一方で、車を運転して遠方まで移動し、
犯行に及んでいることから、完全な孤立状態ではなかったこともわかります。
※出典: 『読売新聞』2000年1月29日、一審判決文、『毎日新聞』2000年1月30日
母親
母親はどのような生活を送っていたのか報道事実を整理しました。
母親の状況
母親は大手生命保険会社の外交員(セールスレディ)として長年勤務し、定年まで勤め上げました。
父親は加害者が中学2年生の時に病死しています。その後は母親が保険外交員の仕事で家計を支え、加害者を育てました。
母親の収入により、経済的には決して困窮していませんでした。加害者が成人してからも、母親の年金や貯蓄、保険外交員時代の蓄えで、加害者の生活費(食費や趣味のビデオ代など)をすべて賄っていました。
母親の関与
母親は1階で生活し、加害者の身の回りの世話をしていました。
報道によると、母親は食事(おにぎりやパン、弁当など)を2階の階段踊り場に置くか、ドア越しに加害者に手渡していたようです。
また、加害者が「2階には絶対に入るな」と激しく拒絶し、暴力を振るっていたため、母親は長年2階の奥を確認することができなかったと語っています。
母親は後に「2階から時折、自分以外の足音が聞こえたり、女性のような声が聞こえたりして不審に思ったことはあったが、息子が怖くて問いただせなかった」と供述しています。
事件発覚のきっかけとなった相談も母親は加害者の暴力や奇行についてであり、事件前から保健所や精神科病院に何度も相談していましたが、「息子が暴れるのが怖い」という相談が主であり、監禁の存在を告発するものではありませんでした。
者の暴力に関するもので、家庭内で強い支配関係があった可能性も指摘されています。
事件発覚まで2階に女性が監禁されている事実は「知らなかった」と供述しています。
母親は刑事責任を問われたという事実はありません。
※出典:『産経新聞』2000年2月2日、『女性自身』2000年2月15日号、『日本経済新聞』2000年2月15日
判決
当時の判決を振り返ります。
加害者の判決
逮捕時期: 2000年1月28日(未成年者略取容疑)、同年2月11日(未成年者誘拐・監禁致傷容疑で再逮捕)
罪名: 監禁致傷、窃盗(被害者の衣類等)、住居侵入、未成年者略取
判決内容: 一審(新潟地裁):懲役14年 新潟地裁(榊五十雄裁判長)で開かれ、精神鑑定中の加害者も出廷する中、加害者の母親(当時74歳)の証人尋問が行われました。
- 二審(東京高裁):懲役15年(一審破棄・検察側控訴受理)
- 最高裁:上告棄却により、懲役15年が確定
母親の処分
不起訴処分: 加害者の母親は日常生活に必要な酸素ボンベをかたわらに置き、証言台に立ちました。
警察・検察は、母親が監禁を助けた幇助の疑いについても捜査しましたが、加害者からの暴力による恐怖支配下にあり、監禁の事実を確定的に認識していた証拠がないとして、刑事責任は問われませんでした。
加害者とのかかわり方について、「高齢で生んだ子だから、かわいがってしまった。甘やかしたつもりはないが、欲しがるものは何でも買ってやった」と証言しました。
母親は、事件の4、5年前からは加害者から暴力を受け、最近は手をテープで縛られたり、スタンガンを押し当てられていたといいます。
加害者の部屋には中・高校生の時から入っておらず、女性発見時に部屋に入り、「女性を見た時、頭が真っ白になった」と語っています。
※出典:新潟日報2003年7月11日、最高裁判所判例集(平成14(あ)121)、『日本経済新聞』2000年2月15日、柏崎日報(2000年12月6日)
救出後の被害女性と家族
両親は、被害女性の近況、加害者への思い、奪われた9年2か月の重さを法廷で訴えました。
被害女性本人についても、救出後は入院し、身内以外の人とは会わず、階段を上る時にもまだ足取りがおぼつかなかったと報じられています。
柏崎日報によると、被害者女性の興味のあるテレビ番組は競馬、F1、野球、 音楽など加害者の好きだった番組と重なり、9年2カ月の重さを感じさせました。
被害女性は「私の頭の中は小学校4年生でギャップがある。人には会ってみたいというより、こっそりのぞいてみたい」と話していたといいます。
母親(当時46歳)が出廷することを伝えられると、加害者と同じ空気を吸うことに強い嫌悪感を示し、「私の前から、すべての人の前からいなくなってほしい」とも話していたとされています。
母親は「子育ての楽しみを奪われた。何年か後に出てくると思うが、その時が怖い。安心して暮らしていけない」と語りました。
父親(当時48歳)もまた、「9年、10年の時間が埋まりません」と涙を見せながら訴えています。
さらに加害者に対し、「時間を戻し、やり直しができるようにしてほしい」と語ったと報じられています。
9年2か月という時間は、救出されたあとも消えなかったことが伝わってきます。
※出典:柏崎日報(2000年12月6日)
加害者の足取り
出所後はどのような人生を送ったのでしょうか。
- 実名: 佐藤宣行(さとう のぶゆき)
- 当時の報道: 事件発覚当日の2000年1月28日から、すべての主要新聞(朝日、読売、毎日、産経等)およびテレビニュース、週刊誌において実名で報じられました。
- 現在の状況: 加害者は懲役15年の刑を終え、2015年に出所しています。その後、2017年に千葉県内のアパートで病死(孤独死)したことが報じられています。
※出典: 読売新聞(2000年1月29日朝刊)、産経新聞(2017年12月20日「新潟・女性監禁事件の加害者死亡」)
まとめ|柏崎9年監禁事件が残したもの
この事件監禁事件は、1990年から2000年までの9年2ヶ月(3,364日間)にわたり、新潟県柏崎市の民家2階で、一人の被害女性が当時10代から20代だった男によって拘束・監禁された未曾有の凶悪事件です。
被害女性が小学4年生から20歳になるまでの「成長のすべて」を奪われたという事実が、日本社会に大きな衝撃を与えました。
部屋に鍵はなく、テレビを見ることもできた。それでも逃げられなかったのは、物理的な監禁だけではなく、長い時間をかけて判断力や意思そのものが奪われていったからでしょう。
この事件は、閉ざされた空間の中で起きた特殊な出来事ではなく、家庭内支配や孤立が重なれば、現代でも起こり得る問題として考える必要があります。



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