2025年公開の映画『でっちあげ〜殺人教師と呼ばれた男〜』は、2003年に福岡市で起きた「教師によるいじめ」告発事件をもとに制作された作品です。
本作は実話なのか。
どこまでが事実で、どこからが映画独自の再構成なのか。
この記事では、元ネタとなった事件の概要と、当時の報道、そして映画版との違いを整理します。
でっちあげは実話?2003年福岡事件との関係

映画『でっちあげ』は、三池崇史監督による作品で、2003年に福岡市で起きた「教師によるいじめ」告発事件を取材した作家・福田ますみ氏のノンフィクションを原作としています。
そのため、完全なフィクションではありませんが、映像作品として再構成されており、人物描写や演出には脚色が含まれている可能性があります。
つまり、実在事件をベースにしたフィクション作品と整理するのが適切です。
2003年福岡事件の概要と裁判の経緯
2003年、福岡市の市立小学校で、担任教師が児童に対して差別的ないじめや暴言を行ったと保護者が告発しました。
この告発を受け、学校および教育委員会は教師に対して懲戒処分を実施。
その後、報道により事件は全国的に広く知られることになります。
しかし、教師側は事実関係を争い、長期にわたり裁判が行われました。
裁判の結果、一部の言動は不適切とされながらも、報道で広まったような極端な人物像までは認定されず、最終的に懲戒処分は取り消されました。
2003年福岡事件の報道と映画との違い
2003年当時の報道では、告発内容が大きく取り上げられ、教師の人物像が強い言葉とともに広まりました。
一方で映画『でっちあげ』は、事件の是非そのものよりも、「判断がどのように形作られていくか」に焦点を当てています。
つまり、実際の事件と映画では、描いている重心が異なります。
メディア報道の構図
2003年当時、事件は新聞や週刊誌などで大きく報じられました。
特に見出しの強い表現が注目を集め、教師の人物像が先行して広まったとされています。
当時の報道には、次のような傾向が見られました。
・告発内容が大きく取り上げられた
・強い見出し表現が繰り返された
・処分の経緯や裁判の詳細は後から伝えられた
裁判の結果、一部発言は不適切とされながらも、報道で広まったような極端な人物像までは認定されず、最終的に懲戒処分は取り消されました。
映画が描いた「情報の固定化」
映画『でっちあげ』が描いているのは、事件そのものの再現よりも、「最初に語られた物語がどのように広がり、定着していくのか」という構造を描いています。
そのため、実在事件をベースにしながらも、人物描写や展開には再構成が加えられています。
本作は、実話の再現ドラマというよりも、“実話を素材にしたフィクション”と整理するのが適切でしょう。
作中で示される固定化の流れは以下の通りです。
・教師=加害者という図式が先に共有される
・説明よりも感情が先に広がる
・修正や反論は後追いになる
一度広がった印象は、事実が整えられた後でも、簡単には消えません。
なぜ2003年福岡事件は映画化されたのか
三池崇史監督は、単なる事件の再現ではなく、「受け手の判断が揺らぐ構造」に関心があったと語っています。
監督の視点を踏まえると、本作は“事件の真相”よりも、“判断がどう形作られるか”を描いた作品と言えるでしょう。
三池崇史監督は、本作を単純な事実再現ではなく、受け手の判断が揺れる構造として描いたと語っています。
【映画『でっちあげ ~殺人教師と呼ばれた男』:鬼才・三池崇史が描く「かくも恐ろしき人間たち」】※要約
三池崇史監督のインタビューを見ると、本作は「事実をそのまま再現する」ことよりも、報道や印象が先に走り、人物像が固まっていく過程を描く狙いがあった趣旨が読み取れます。
そのため映画版は、善悪を単純に確定させるよりも、視点の揺れや受け手の判断が揺さぶられる構造になっています。(2025年6月27日)
※出典:nippon.com 掲載の三池崇史監督インタビュー
監督の意図を踏まえると、本作は“事件の再現”ではなく、“判断が固定される怖さ”を描いた作品だと言えるでしょう。
まとめ
映画『でっちあげ〜殺人教師と呼ばれた男〜』は、2003年福岡事件を取材した書籍を原作とする作品です。
しかし映画は単なる再現ではなく、「報道がどう人物像を固定していくのか」という構造そのものを描いています。
この作品の核は、「何が事実か」よりも、「何が事実として信じられていくのか」にあると言えるでしょう。

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