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2023年公開の映画『ロストケア』で描かれた犯行は、単なる衝動ではありませんでした。
主人公はなぜ高齢者に手をかけたのか。
そして、なぜそれを「救い」だと信じたのか。
本記事では、感情ではなく“構造”の視点から、犯人の動機を整理します。
父との関係、制度の壁、そして自己正当化の過程を辿りながら、物語の核心に迫ります。
※この記事は映画『ロストケア』の結末を含みます。
ロストケアのあらすじ(結末まで)
42人を殺めた殺人犯が語る「介護」 | ロストケア | Netflix Japan
『ロストケア』は、訪問介護員として働く青年・斯波宗典が、高齢者を相次いで殺害したとされる事件から始まります。
彼は取り調べの中で、自らの行為を「救いだった」と主張します。
苦しみ続ける高齢者と、その家族を解放するためだったというのです。
物語は、彼を裁く検察官・大友秀美の視点を通して進み、介護の現場にある現実や、貧困、家族の限界といった問題が徐々に明らかになっていきます。
やがて明らかになるのは、「殺人か、救いか」という単純な対立ではありません。
追い詰められた状況の中で、“そう信じるしかなかった構造”そのものです。
そしてラストでこの物語は、明確な答えを提示することなく、観る者に「何が正しかったのか」という問いを突きつけて終わります。
本作は、特定の事件をそのまま描いたものではなく、介護をめぐる社会問題を背景にしたフィクションとされています。
💡原作小説はこちら👇
映画では描ききれなかった「父と息子の関係」や内面は、小説のほうがより深く理解できます。
ロストケアは実話なのか

016年に起きた相模原障害者施設殺傷事件を思い浮かべた方も多いかもしれません。
しかし、原作小説『ロスト・ケア』は2013年に刊行されています。
作品のモチーフとされる事件の概要
2016年7月、神奈川県相模原市の障害者施設で発生した大量殺傷事件は、元職員による単独犯行でした。
当時26歳の元職員は、過去に施設で勤務していた経験を持ち、障害者に対する極端な優生思想を主張していました。
背景には、本人の思想の偏り、孤立、精神的不安定さなど複数の要因が指摘されていますが、いずれにせよ“本人の信念”が強く前面に出た犯行でした。
被害者との個人的な関係性はなく、特定の家族事情や経済困窮が直接的な動機ではありませんでした。
動機の中心にあったのは、「命の価値を選別する」という本人の思想そのものでした。
ここが、物語『ロストケア』との決定的な違いです。
一方は“存在そのものを否定する思想”、もう一方は“関係の中で歪んだ救いを信じた行為”でした。
モデルとされる事件との違い
映画『ロストケア』は、特定の事件をそのまま再現した作品ではありません。
一方で、現実の事件では「存在そのものを否定する思想」が動機の中心とされています。
対して『ロストケア』では、介護の現場で追い詰められた個人が、“救い”と信じた行為に至る過程が描かれています。
つまり、共通しているのは「福祉」という舞台のみであり、動機や価値観の構造は大きく異なります。
映画「ロストケア」の犯行のきっかけは何だったのか

父親の介護は、ある日突然始まったわけではありません。
少しずつ、確実に、生活を侵食していきました。
働ける年齢であることを理由に生活保護は認められず、収入は途絶え、社会との接点も失われていきます。
追い詰められていったのは、父だけではありません。
息子自身もまた、制度の隙間に取り残されていました。
💡ポイント
・経済的困窮
・社会的孤立
・介護の長期化
・逃げ場の喪失
この段階では、まだ“思想”ではありません。
積み重なった現実です。
彼はなぜ「救い」だと信じたのか
映画『ロストケア』本編映像【親子の絆・斯波 編】公式日活MOVIEチャンネル
彼の中で、「救い」という言葉はどのように形作られたのでしょうか。
父親はかつて、自分が重荷になることを恐れていました。
尊厳を失うことへの不安も口にしていたはずです。
その言葉は、息子の中に残り続けます。
介護が長期化し、生活が破綻寸前にまで追い込まれたとき、彼の思考はひとつの結論に向かいます。
「終わらせることが、苦しみからの解放になるのではないか」
ここで初めて、“殺す”という行為が、“救う”という言葉にすり替わったように見えます。
それは崇高な思想ではなく、追い詰められた末に生まれた自己正当化の枠組みだったと考えられます。
💡ポイント
・父の尊厳という言葉
・終わらせる=解放という発想
・追い詰められた思考の単線化
・言葉のすり替え
一見すると、「福祉の現場」「命の選別」「救いという言葉」といった構造は似ています。
しかし、両者の根本は異なります。
相模原事件は、障害者の存在そのものを否定する思想犯罪です。
一方『ロストケア』は、介護の現場で追い詰められた個人が、“救い”と信じた行為に手を染める物語です。
共通するのは「福祉」という舞台設定のみであり、犯行の思想や“命の価値”に対する前提は根本から異なります。
犯行の思想性、対象との関係性、動機の性質は本質的に別物です。
この違いを曖昧にすると、作品理解も現実理解も歪みます。
このようにして、“救い”という認識は形成されていきました。
では、なぜその行為を止めることはできなかったのでしょうか。
「なぜ罪を止められなかったのか」
また、この問題は個人の意思だけで説明できるものではありません。
介護の現場では、長期化する負担や人手不足、経済的な限界など、さまざまな要因が重なります。
追い詰められた環境の中では、判断力そのものが鈍り、極端な思考に傾くこともあるとされています。
もちろん、どのような理由があっても行為が正当化されるものではありません。
しかし、その選択に至るまでの「止められなかった構造」が存在していた可能性は否定できないでしょう。
なぜ涙を見せなくなったのか
犯行直後、彼は折り鶴に残された父の言葉を見て泣き崩れます。
そこには確かに、迷いと動揺がありました。
しかし、その後の犯行では涙は見られなくなります。
迷いは次第に薄れ、行為は“使命”のような確信へと変わっていきます。
もし彼が「自分は救っている」と信じ始めたのだとすれば、
後悔は“必要のない感情”として押し込められていったのかもしれません。
追い詰められた状況の中で、彼は“正しさ”を自分の内側に築いていった。
だからこそ、涙は止まり、感情は凍っていったのかもしれません。
💡ポイント
・初回は動揺している
・徐々に使命感へ変化
・自己正当化の進行
・感情の麻痺
本当に彼に他の選択肢はなかったのか
制度は存在しています。
生活保護、介護サービス、地域包括支援。
理論上は、彼にも支援を受ける道はあったはずです。
しかし問題は、“制度があること”と“制度に辿り着けること”は別だという点です。
孤立、羞恥、相談できない心理状態。
追い詰められた人間の思考は、視野を狭めます。
選択肢は消えたのではなく、見えなくなっていた可能性もあります。
それでも。
だからといって、命を奪うことが正当化されるわけではありません。
ここに、この物語の残酷さがあります。
💡ポイント
・制度と現実のギャップ
・孤立
・思考の単線化
・正当化はできない
まとめ|犯人の動機は“救い”だったのか
映画『ロストケア』の犯人は、単なる悪意で行動したわけではないとされています。
彼は、自らの行為を“救い”だと信じていました。
つまり、本作が描いているのは「なぜ犯人は“救い”と信じたのか」という動機そのものです。
しかし、その背景には、介護の現実、貧困、孤立といった複雑な問題が重なっていたことも描かれています。
本作が問いかけているのは、「正しかったのか」という結論ではありません。
むしろ、なぜその選択に至ったのか、そして同じ状況に置かれたとき、自分はどうするのかという問いです。
“救い”とは何だったのか。
その答えは、観る側に委ねられています。

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