『親愛なる夫へ』最終回考察|岩崎が麻衣子を殺した理由とは?

最終回で、麻衣子を殺した黒幕が岩崎だったことが明らかになった『親愛なる夫へ~完璧な妻の嘘~』。

弓愛を操っていた人物、岩崎が自ら階段から落ちた理由、そして麻衣子が殺された本当の理由まで、一気に回収されました。

中でも気になったのが、岩崎が過去に語っていた「人を使えるやつ」という言葉です。

人を操るほど頭が切れる岩崎が、なぜ麻衣子の言葉だけはあれほど極端に受け取ってしまったのでしょうか。

そして最後に描かれたのは、優一と麻衣子が初めて出会った雨の日。

岩崎の「人を使える」という考え方と、麻衣子が最後にたどり着いた「絶望なんていらない」という答えは、真逆の場所につながっていたように思います。

最終回の結末と、ラストの雨に込められた意味を考察します。

目次
スポンサーリンク

『親愛なる夫へ』のキャストと相関図

『親愛なる夫へ』には、芸能事務所やテレビ業界、事件関係者など、夫婦を取り巻く人物が多数登場します。

※こちらの相関図は、主要人物を中心に整理した簡易版です。公式サイトでは最新の相関図が公開されているため、詳しい人物関係は公式相関図もあわせてご確認ください。

読売テレビ公式サイトの相関図はこちら

『親愛なる夫へ』の原作やキャスト、人物関係、各話のネタバレあらすじは、こちらの記事で整理しています👇

スポンサーリンク

『親愛なる夫へ』最終回ネタバレあらすじ|黒幕は岩崎だった

最終回では、麻衣子を殺した事件の全貌が明らかになりました。

弓愛は、麻衣子本人から「死にたい」と相談されていると思い込み、事件当日も指示に従って麻衣子を橋から落としていました。

しかし、弓愛にメールを送っていたのは麻衣子ではありません。

麻衣子になりすましていたのは岩崎でした。

岩崎は弓愛が熱狂的な麻衣子ファンだと知り、麻衣子を装ってメールを送信。会話から麻衣子の声を録音し、事務所に仕掛けた監視カメラから離婚届の存在まで知っていました。

そこまでして岩崎が麻衣子を殺した理由は、以前麻衣子が話した「優一には大きな絶望が足りない」という言葉でした。

岩崎は、優一が日本一のアナウンサーになるためには大きな絶望が必要だと考え、最も大切な麻衣子を失わせる計画を立てたのです。

しかし麻衣子は、自分の言葉が間違っていたことを認めます。

優一に絶望など必要なかった。

そんなものがなくても優一なら大丈夫だったと、岩崎の考えを否定しました。

事件後、優一は「ひるドキライブ」を降板。

そして麻衣子は、かつて父親の事件で苦しんでいた頃、テレビから聞こえてきた優一の言葉に救われたことを初めて明かします。

物語の最後に映し出されたのは、二人が初めて出会った雨の日でした。

岩崎の過去に出てきた「人を使えるやつ」という言葉と合わせて考えると、岩崎の危うさが見えてきます。

第8話では、岩崎の過去や「人を使えるやつ」という考え方から、弓愛を操っている可能性を考察していました。

『親愛なる夫へ』8話考察|弓愛を操ったのは誰?岩崎の別の顔とは👇

スポンサーリンク

岩崎はなぜ麻衣子を殺した?「大きな絶望」の本当の意味

岩崎が麻衣子を殺した理由は、優一を日本一のアナウンサーにするために「大きな絶望」を与えることでした。

ただ、ここで引っかかるのが、なぜ「優一には大きな絶望が足りない」という麻衣子の言葉から、麻衣子を殺すという結論までたどり着いたのかということです。

岩崎の過去に出てきた「人を使えるやつ」という言葉と合わせて考えると、岩崎の危うさが見えてきます。

「人を使えるやつ」が賢い?岩崎の本当の欠落

岩崎は「本当に賢いやつ」とは、人に使われる人間ではなく「人を使えるやつ」だと考えていました。

実際、弓愛を利用した犯行を見ると、かなり頭は回ります。

弓愛が麻衣子を強く慕っていることを利用し、麻衣子になりすましてメールを送る。会話から音声を録音し、監視カメラから得た離婚届の情報まで混ぜることで、弓愛を完全に信じ込ませました。

人をどう動かせばいいのかについては、細かいところまで考えています。

ところが、一番大切なことだけが抜け落ちていました。

「麻衣子は、本当に自分が死ぬことを望むのか」

岩崎は、そこをほとんど疑っていません。

普段から麻衣子と優一をすぐそばで見ていたのだから、麻衣子が優一をどれだけ大切にしているかも分かっていたはずです。

それでも岩崎は、「優一には大きな絶望が足りない」という言葉を、自分の中で「麻衣子は優一に絶望を与えたがっている」という意味に変えてしまいました。

岩崎は、人がどう動くかを読むことはできても、人が本当はどう感じているのかを相手の立場から想像することができなかったのではないでしょうか。

「人を使えるやつが賢い」という言葉も、単なる岩崎の頭の良さを表したものではなく、人を理解する相手ではなく「動かす対象」として見ていた岩崎自身の欠落を表していたように思います。

スポンサーリンク

岩崎はなぜ「大きな絶望」から殺人まで飛躍した?

麻衣子が言ったのは、「優一には大きな絶望が足りない」ということでした。

普通なら、厳しい経験を乗り越えることも成長につながる、という程度に受け取る言葉です。

しかし岩崎は、

「それなら僕が絶望を与えればいい」

「優一にとって一番の絶望は麻衣子を失うこと」

「麻衣子を殺せば、優一は成長できる」

と、自分の中だけで答えを作り上げていきました。

これは単なる想像力の欠如というより、他人の気持ちを自分の解釈で決めつけ、その解釈を疑わない危うさだったのだと思います。

しかも麻衣子本人から「私は間違っていた」「絶望なんていらない」と否定された時、岩崎が最初に口にしたのは「それじゃあ僕が失敗したみたいじゃないですか」「僕は失敗なんかしていない」という言葉でした。

ここを見ると、岩崎が本当に守りたかったのは、麻衣子や優一の夢だけではなかったのでしょう。

父親から「失敗作」と言われ続けた岩崎にとって、二人の役に立つことは、「自分は失敗作ではない」と証明することでもあった。

だからこそ「僕を褒めてください」という言葉まで出てきたのだと考えます。

岩崎の中では、「二人のため」と「自分を認めてほしい」がいつの間にか一つになり、自分が作り上げた“麻衣子の願い”を実現することだけが目的になってしまったのでしょう。

ただ、ドラマとしては少し惜しさも残りました。

父親を刺した過去や、人を使って万引きさせたこと、「人を使えるやつ」が賢いという考え方から、岩崎が危うい人物だったことは分かります。

しかし、麻衣子を慕っている。

麻衣子と優一を家族のように大切に思っている。

それなのに、麻衣子の言葉を極端に受け取り、麻衣子を殺す。

この飛躍には、もう一段ほしかったところです。

岩崎本人の歪んだ考え方は理解できても、そこから殺人まで進む人物像を、もう少し早い段階から積み上げていれば、黒幕としてさらに納得できる結末になったのではないでしょうか。

犯行の手口が緻密だっただけに、その始まりとなった動機の弱さが、最終回で少し引っかかった部分でした。

スポンサーリンク

ラストの雨の意味|「絶望なんていらない」が最後の答え

岩崎は、人を成長させるために「大きな絶望」が必要だと考えました。

だから自分で絶望を作った。

しかし麻衣子が最後にたどり着いた答えは、まったく逆でした。

「絶望なんていらない」

そして最終回のラストは、優一と麻衣子が初めて出会った雨の日へ戻ります。

麻衣子はそこで、雨が降るからこそ晴れた時にうれしくなるという意味の言葉を口にしていました。

この場面が最後に置かれたことで、「絶望なんていらない」という言葉にも別の意味が見えてきます。

生きていれば、誰かが用意しなくても雨の日はやってくる。人を成長させるために、わざわざ誰かが絶望を与える必要などない。

雨が降っても、いつか晴れる。

麻衣子自身も、それを経験していました。

父親の事件によって暗闇の中にいた麻衣子を救ったのは、優一がテレビから届けた何気ない言葉でした。

そして麻衣子を失った優一もまた、その悲しみを抱えたまま自分の道を選び、前へ進んでいきます。

さらに麻衣子の愛し方も変わりました。

以前の麻衣子は、優一に「私の愛に応える責任がある」と迫るほど、強く相手を求めていました。

ところが最後には、優一が自分で決めたことならそれでいいと、その選択を受け入れています。

優一の人生を自分が決めるのではなく、「優一なら大丈夫」と信じる。

二人が初めて出会った雨の日で物語を閉じたのは、絶望を描くためではなく、その先に晴れる日があることを伝えるためだったのではないでしょうか。

スポンサーリンク

SNSでは「最終回泣いた」「最後まで面白かった」の声

最終回放送後のSNSでは、「泣いた」「最後まで面白かった」「キャスティングがよかった」と、ドラマを好意的に振り返る声が多く見られました。

登場人物それぞれの思いが絡み合う展開に、最後まで驚かされたという声もありました。

優一と麻衣子の芝居だけでなく、最後の岩崎の涙が印象に残ったという感想も。

また、「同じ言葉でも受け手が変われば意味や温度が変わる」という感想もありました。

麻衣子の何気ない言葉が岩崎にはまったく違う意味で届いてしまった今回の結末を思うと、印象に残る言葉ですね。

最終回はかなり大きく動く展開でしたが、最後は優一と麻衣子の始まりだった雨の日へ戻り、二人らしいラストになったのではないでしょうか。

スポンサーリンク

まとめ|『親愛なる夫へ』が最後に残したもの

最終回では、岩崎が弓愛を利用して麻衣子を殺させた黒幕だったことが明らかになりました。

「人を使えるやつ」という過去の言葉は、その犯行方法につながるだけでなく、人を動かすことはできても相手の気持ちを想像できなかった岩崎自身の危うさも表していたように思います。

一方で、岩崎の犯行動機には、もう少し早い段階から人物像の積み重ねがあれば、さらに納得できたという思いも残りました。

それでも最後に麻衣子が出した答えは、とてもシンプルです。

絶望なんていらない。

雨は誰かが降らせなくても降るし、その雨もいつかは上がる。

『親愛なる夫へ』は最後に、誰かの人生を自分の考えで動かすのではなく、その人を信じることこそが愛なのだと描いたのではないでしょうか。

少しぶっ飛んだ展開も含めて、最後まで先の読めないドラマでしたが、二人の始まりだった雨の日へ戻るラストは、きれいな締めくくりだったと思います。

スポンサーリンク
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次