Netflix韓国ドラマ『最後列からの声』は、大学教授と、かつて授業を受けた青年イ・ガンの再会から始まるサスペンス作品です。
前半から中盤までは、小説の続きを追うような構成や、現実と物語が重なっていく不気味さにかなり引き込まれました。
ただ、最後まで見終えると、イ・ガンが12年も教授に執着した理由には、どうしても引っかかる部分が残ります。
この記事では、『最後列からの声』の感想をもとに、イ・ガンの復讐やラストに残った違和感について考察していきます。
『最後列からの声』の相関図と登場人物
『最後列からの声』は、大学教授ホ・ムノと、かつて授業を受けた学生イ・ガンの関係を軸に物語が進んでいきます。
さらに、ホ・ムノが羨望してきたスター作家キム・スフンの家族にイ・ガンが入り込むことで、現実と小説の境目が少しずつ揺らいでいきます。
下の相関図では、作品に登場する人物すべてではなく、物語の中心になる主な登場人物に絞って関係性を整理しています。

『最後列からの声』ネタバレなしあらすじ
『最後列からの声』は、ヨンソ大学の国文科教授ホ・ムノの前に、かつての教え子であるイ・ガンが現れるところから物語が動き出します。
イ・ガンは、自分が書いた小説をムノに読ませます。最初は一人の学生の作品として向き合っていたムノでしたが、その小説の内容に次第に引き込まれていきます。
小説の中には、ムノが羨望してきたスター作家キム・スフンと、その妻アン・ウンジュ、息子キム・セユン、姉キム・ジョンフ、さらに家政婦ソン・ミニを思わせる人物たちが登場します。
イ・ガンは、キム・スフンの家族に入り込むように関わっていき、ムノは小説と現実が重なっていくような不気味さにのめり込んでいきます。
家族の中に見え隠れする歪みや、家政婦ソン・ミニの存在も、小説の不穏さを強める要素になっています。
一方で、ムノの妻チョ・ヒョンスクは、イ・ガンの小説に執着していく夫の変化を近くで見つめる立場になります。
やがて物語は、単なる小説指導では終わらず、イ・ガンが12年もの間抱えてきた執着や、ムノに向けられた感情へとつながっていきます。
前半から中盤にかけては、小説の続きを追うような緊張感があり、現実と創作の境目が少しずつ崩れていく展開が大きな見どころです。
『最後列からの声』の感想|前半はかなり引き込まれた
『最後列からの声』は、前半から中盤にかけてかなり引き込まれる作品でした。
大学教授ホ・ムノの前に、かつて授業を受けた学生イ・ガンが現れ、自分の書いた小説を読ませるところから物語は動き出します。
最初は、教授と学生の間にある文学的なやり取りのようにも見えます。
しかし、イ・ガンの小説を読み進めるうちに、その内容が現実の人物や出来事と重なっていくように見えてきます。
この「小説の続きが気になる」という作りは、かなりうまかったです。
視聴者もムノと同じように、イ・ガンの小説の先を知りたくなってしまいます。
さらに印象的だったのは、堅物の大学教授だったムノが、イ・ガンに頼まれてある答案を盗む場面です。
ムノは当然拒みますが、結局はイ・ガンに押されるようにして行動してしまいます。
そして実行したあと、ムノは罪悪感だけではなく、これまで味わったことのないような爽快感や達成感を覚えていました。
この場面は、ムノがただ小説に惹かれているだけではなく、イ・ガンによって自分の中に眠っていた欲望や衝動を引き出されていくことをよく表していたと思います。
しかも、その小説の中には、ムノがどこか羨望し、同時に劣等感を抱いていたスター作家キム・スフン一家の影が見え隠れします。
単なるミステリーではなく、文学、嫉妬、承認欲求、他人の家庭を覗き見るような後ろめたさが重なっているところに、不気味な面白さがありました。
ホ・ムノを演じるチェ・ミンシクさんの演技も見応えがあります。
小説に引き込まれていく表情や、知ってはいけないことを知りたくなってしまう人間くささが、じわじわと伝わってきました。
イ・ガンもまた、ただの学生ではなく、何を考えているのか分からない不穏さがあります。
前半は、教授が小説にのめり込んでいく流れと、イ・ガンが何を目的にしているのか分からない怖さが重なり、かなり先が気になる展開でした。
『最後列からの声』で後半に残った3つの違和感
ここからは、『最後列からの声』を見終わったあとに残った違和感を整理していきます。
前半から中盤まではかなり引き込まれた一方で、後半になると、ムノの行動やイ・ガンの動機に「そこまでなのか?」と引っかかる部分もありました。
特に気になったのは、ムノが小説にのめり込んでいく理由、キム・セユンに深く確認しなかった点、そしてイ・ガンの12年にわたる執着です。
違和感①:ムノはなぜ小説にそこまで惹かれたのか
ムノがイ・ガンの小説にのめり込んだ理由は、単に「作品として面白かったから」だけではないように感じました。
最初の時点では、その小説の題材が自分の大学同期であるスター作家キム・スフン一家だとは知らなかったはずです。
それでもムノは、イ・ガンの小説に強く惹かれていきました。
ただ、途中で小説の中身がキム・スフン一家と重なっていると気づいてからは、ムノの興味はさらに別の方向へ進んでいきます。
自分が羨望し、どこか憎らしくも感じていた相手の家庭が、実は歪んでいたかもしれない。
その崩壊や秘密を、小説を通して覗き見してしまうような感覚が、ムノをさらに引き込んだのではないでしょうか。
身近で、しかも自分を見下したように感じていた相手のゴシップほど、知りたくなってしまうものです。
ムノの中には、文学的な好奇心だけでなく、嫉妬や劣等感、そして相手の不幸を見てしまいたいという暗い楽しみも混ざっていたように見えました。
違和感②:ムノはキム・セユンに何も聞かなかったのか
小説の内容に夢中になっていたムノですが、気になるのはキム・スフンの息子であるキム・セユンへの接し方です。
ムノは小説と現実が重なっていることに気づきながらも、セユン本人に深く内情を聞こうとはしていません。
声をかける場面はあっても、家庭のことや父親との関係にまで踏み込んで確認するわけではありませんでした。
本当に真相を知りたいなら、セユンに聞くという選択肢もあったはずです。
それでもムノがそうしなかったのは、真実を確かめたいというより、小説の続きを読みながら相手の家庭の歪みを知っていくこと自体に引き込まれていたからではないでしょうか。
ここでもムノは、現実の人間を心配する教授というより、他人の秘密を物語として消費してしまう読者のように見えました。
違和感③:イ・ガンの12年の執着は人生を賭けるほどだったのか
一番大きく引っかかったのは、イ・ガンが12年もの間、ムノに執着し続けた理由です。
12年前の出来事によって、イ・ガンが深く傷ついたことは分かります。
子どもの頃に受けた言葉や扱いが、その後の人生に影を落とすこともあるでしょう。
ただ、それがムノを追い詰めるために人生を賭けるほどの動機として描かれていたかというと、個人的には少し弱く感じました。
もしイ・ガンの目的が「自分の才能を認めさせること」だったなら、ムノが小説を評価し、個人指導まで申し出た時点で、ある程度は満たされていたようにも見えます。
それでもイ・ガンは終わらせませんでした。
復讐なのか、承認欲求なのか、それともムノを自分の物語の登場人物にしたかったのか。
意図は分かるものの、12年という時間の重さに対して、動機の説得力が追いついていないように感じました。
ラストの意味を考察|イ・ガンはなぜ再びムノを訪ねたのか
ラストでイ・ガンが再びムノの前に現れる場面は、不気味な余韻を残します。
落ちぶれたムノを前にしても、イ・ガンはまだ物語を終わらせていないように見えました。
最初のイ・ガンの行動は、12年前の出来事に対する復讐だったのかもしれません。
しかし、物語が進むにつれて、それだけでは説明しきれない感情にも見えてきます。
ムノはイ・ガンの小説に強く惹かれ、続きが知りたいあまり、職場まで訪ね、お金を渡してアルバイトを辞めさせ、個人授業まで申し出ました。
大学教授であり、一度は小説を世に出した人物が、自分の書いた物語にここまで振り回されている。
その状況は、イ・ガンにとって大きな快感だったのではないでしょうか。
自分を傷つけた相手を罰するだけでなく、自分の物語で相手を動かし、追わせ、焦らせる。
ムノが続きを求めれば求めるほど、イ・ガンの承認欲求は満たされ、同時にさらに試したくなっていったようにも見えます。
そう考えると、イ・ガンの行動は単純な復讐ではなく、途中から「自分の才能でムノを支配すること」そのものに変わっていったのかもしれません。
だからこそ、ラストで再びムノを訪ねたイ・ガンは、ただ復讐を続けたかっただけではないように見えます。
ムノは、イ・ガンにとって才能を認めさせたい相手であり、自分の物語を完成させるために必要な読者でもあったのでしょう。
ただ、それでもやはり違和感は残ります。
12年前の出来事が、イ・ガンにとって深い傷やトラウマになったことは分かります。
しかし、ムノをここまで追い詰めるほどの決定的な理由としては、少し伝わりきらなかった印象もあります。
もちろん、人の傷の深さは他人には測れません。
それでも物語として見ると、12年もの時間をかけてムノに執着し続けるほどの動機としては、もう一段強い理由がほしかったです。
ラストの不気味さは印象的でしたが、イ・ガンの執着を完全に納得させるほどの説得力までは感じられませんでした。
『最後列からの声』の原作はスペイン戯曲
『最後列からの声』には原作があります。
原作は、日本の小説ではなく、スペインの劇作家フアン・マヨルガによる戯曲『El chico de la última fila』です。
日本語では『最後列の男』や『最後尾の少年』と紹介されることもあります。
原作も、文学教師と最後列に座る少年の関係を軸に、他人の家をのぞき見るような危うさや、現実と創作の境目が揺らいでいく不気味さを描いた作品です。
ドラマ『最後列からの声』では、舞台を韓国に置き換え、大学教授ホ・ムノと学生イ・ガンの危険な関係として再構成されています。
原作者フアン・マヨルガはどんな作家?
フアン・マヨルガは、スペインを代表する劇作家の一人です。
代表作には、『El chico de la última fila』のほか、『Himmelweg』『El cartógrafo』『La tortuga de Darwin』などがあります。
『El chico de la última fila』は、2006年に初演された戯曲で、2012年にはフランソワ・オゾン監督の映画『危険なプロット』の原作にもなっています。
原作にある「他人の家をのぞき見る怖さ」や、現実と創作の境目が曖昧になっていく不気味さは、ドラマ版『最後列からの声』にも引き継がれているように感じます。
まとめ|名演技だからこそ後半の弱さが残った
『最後列からの声』は、前半から中盤にかけてかなり引き込まれる作品でした。
小説の続きを追う構成や、現実と物語が重なっていく不気味さ、そして俳優陣の演技には見応えがあります。
特にムノが小説にのめり込んでいく過程には、人間の嫉妬や劣等感、他人の秘密を知りたいという暗い欲望がにじんでいました。
だからこそ、イ・ガンの12年の執着にはもう少し強い理由がほしかったです。
傷ついたことは分かる。
トラウマになったことも分かる。
それでも、人生を賭けてまでムノを追い詰める動機としては、少し薄く感じました。
面白かったのに、最後に少し引っかかる。
『最後列からの声』は、名演技と不気味な余韻が残る一方で、後半の動機づけに物足りなさも残る作品でした。

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